記憶術と脳/渡辺剛彰氏のバイブル本

 記憶&クリエイト by Akira Takayama    記憶術と心理学が教える 賢い脳の使い方

                    第1章「脳の使い方を変えよう」 B.私の体験
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B.私の体験 3.タイムマシーンがあったら高校時代に戻りたい
4.「覚えて何になる?地獄」からの脱出
5.カマキリ男とタコ入道が私の脳を変えた話
6.私が記憶術研究に至った3つのきっかけ
7.故・渡辺剛彰氏のパフォーマンス


3.タイムマシーンがあったら高校時代に戻りたい



 1997年以来、毎年行われている世界記憶力選手権で8回も優勝したドミニク・オブライエンは、著書の中で自分のことを「できの悪い生徒で、16歳のときに学業を断念した」と述べています。
 記憶術の超人の中には時おり、このように「学校時代は成績が悪かった」という人がいます。このことは、現在成績が悪くて悩んでいる多くの受験生に希望を与えます。
 先ほどのオブライエンは記憶術を身につけたときのことを「自分の脳が新しく生まれ変わったような気がした」とも語っています。記憶術で脳が変わる。そう感じられるほどに、記憶に関して劇的な変化が起こるのです。

 ここで私自身の話になりますが、私が記憶術の方法を知り、何とか自分のものにしたのは30歳にもうすぐなるというときでした。資格取得をめざしていたわけではなく、受験時代に暗記が苦手だったという思いから、記憶術というものを研究してやろうという気になったのです。
 記憶術が使えるようになって感じたのは、「せめて高校3年生のときにこれを知っていたら」という悔しさです。今でも、「タイムマシーで高校時代に戻ったら…」と空想することがあります。ちなみに私はかつて、SF小説のファンでした。

 とはいっても、高校時代の私がさほど成績が悪かったわけではありません。いちおう国立大学に入れたわけですから。しかし、その中身が問題だったのです。理数系の科目が好きで、嫌いな暗記科目はおしなべて苦手でした。特に世界史、日本史、地理はお手上げで、理系でも生物や有機化学は苦手でした。
 覚えることが最も少ない数学が一番の得意科目で、次に物理、地学、化学といった順でしょうか。暗記物は英語に時間をとられて、犠牲になった面もあります。

 当時、記憶術を知っていれば、短時間で苦手な暗記科目が征服でき、大幅に成績を上げて、さらに余った時間を読書や絵画などに向けることができたはずです。
 しかし、今さら「れば・たら」をいっても始まりません。私にとって記憶術は、試験の武器ではなく、人に教える「特技」になってしまいました。

                                             

4.「覚えて何になる?地獄」からの脱出



 何をするにも欠かせない、非常に大切なことがあります。それはモチベーション(動機づけ)です。
 プロのサッカー選手になりたい。コンピュータ・プログラマーになるんだ。名医になるぞ。どんなことでも、そう思うか思わないかで身につけることに大きな差が生まれます。受験の暗記も同じことです。
 ところが、高校時代の私は、半ば暗記に拒絶反応を示していました。

 こんなことを覚えて将来、何の役に立つんだろう。
 単に受験のためだけにする勉強に、何の意味があるんだろう。
 大学に進んでからが本当の勉強だ。

 世の中をろくに知らない若造が、ずいぶんと生意気なことを考えていたものです。ここではっきりいっておきますが、覚えてムダなことなどありません。知識というものは自分の専門領域と異なっていても、いつ何時役立ってくるかわかりません。これは私の実感です。また、仕事や実生活に役立たなくても、話しの種になります。話題豊富な人は人付き合いの中で、駒をそれだけ多く持っているわけです。
 たとえ、懸命に覚えたことをあとで忘れてしまったとしても、昔あんなことを勉強したなあ、ということは覚えています。始めからまったく知らなかったのとは大違いです。

 そんな私が、高3の2学期から心を入れかえて(かどうかには疑問符がつきますが)、苦手な地理と古典の特訓を始めたのは、担任の先生に追い詰められたからです。
 「この点数で合格した人は過去に一人もいない」とまで断定する先生に腹を立て、「なら、例外を作ってやろうじゃないか!」とがんばれたのです。どんな形であれ、それが学習のモチベーションとなり、結果的にはラッキーでした。

 体験的教訓1 勉強にはモチベーションが最も大切である。
 体験的教訓2 人生において、覚えてムダなことは何もない。


5.カマキリ男とタコ入道が私の脳を変えた話



 記憶術は大脳の使い方をまったく変える方法です。そこでもう一つ、記憶術から話はそれますが、脳が変わるにはきっかけが必要だということをお話します。

 高校時代、理数系一辺倒で人文系にオンチだった私は、大学の工学部を卒業後、理数系とは異なる道を歩むことになりました。月刊誌の編集、教材の企画・編集、広告コピー、テキストや単行本の執筆……工学部とは正反対の分野です。
 なぜこんなことになったのか、その原因を探ると19歳の時までさかのぼります。

 大学2年で初めてアパート暮らしを始めた私のところに、近くに住む友人たちが夜な夜な訪れてきました。その中の一人にカマキリ男がいました。彼は週に2、3回、私の部屋にひょっこり現れてはヘボ将棋を一局指し、負かされて悔しがって帰っていくというのが日課になっていました。
 ある晩、カマキリ男は私の書棚を眺めてしみじみといいました。「本が少ないねえ」
 「家にだいぶ置いてきたから」と言い訳する私。しかし内心傷つき、以来、私は本の虫と化していくのです。理系から文系へ、昆虫の変態のような出来事でした。

 私の脳を変えるきっかけとなったもう一人の男は、一見してタコ入道でした。豪放磊落(らいらく)な振る舞いと繊細さの同居。彼はいつも分厚い本を裸で手に持っていました。
 「これいいだろう」と本を自慢するのがタコ入道くんの趣味です。ジャンルにはあまりこだわらない様子。本の装丁が現代的で、先端を行っているかどうか。そして、タイトルが難しそうだったり、気の利いた言葉だったりすると、彼の財布のひもがゆるむ仕掛けになっていたのです。
 お堅い読書家なら、「彼は格好つけていただけ」と批判するかもしれません。しかし、本の楽しみ方は人それぞれ。本の中身よりも表紙のほうが感性を刺激し、持っているだけでその人を高めることだってあるのです。本の魔力とはそういうものです。

 友人のカマキリ男とタコ入道は、当人たちの意思とは無関係に私の脳みそを変えるきっかけとなり、結果として人生のターニングポイントとなりました。しかし、それは他人にとっては実につまらない、日常の一コマに過ぎません。

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6.私が記憶術研究に至った3つのきっかけ



 記憶術はそのネーミングのために、うさんくさい目で見られがちです。しかし、記憶術は英語のmnemonicsを翻訳した、明治の時代からあるれっきとした一般名詞であり、一個人が考えたものでもなければ、どこかの企業の登録商標でもありません。

 私が初めて記憶術なるものの存在を知ったのは、昭和30年代の中頃だったと思いますが、はっきりとはしません。当時、NHKテレビの人気番組だった「私の秘密」で、記憶術の実演が行われたのです。
 スタジオに用意された長い棚の上にさまざまなものが置かれ、それを記憶の名人が覚えたあと、次々と当てていくというものでした。今から考えれば、記憶術を習って2週間でできるレベルのものでしたが、中学生の私は非常に感動したものでした。「試験の神様」と呼ばれた故・渡辺剛彰氏のマスコミ・デビューです。

 それから記憶術のことをすっかり忘れていた私ですが、記憶がよみがえったのは、大学1年の心理学の授業によってです。当時すでに「頭の体操」シリーズですっかり有名になっていた多湖輝先生がある日突然、記憶術のことを話し始めたのです。
 多湖先生は、記憶術の原理を説明する前に、黒板に次のような数字と単語を書きました。

  1.いちご
  2.肉  
  3.さんま
   ……


 数え歌などにもよくある、数字のゴロ合わせですが、不思議と順番を忘れません。これに覚えたい項目を結びつけて覚えるのです。この方法は日本では一般に「基礎結合法」と呼ばれていますが、考案されたのはなんと紀元前、古代ギリシャだということは大分あとで知りました。
 その授業をきっかけに、「私の秘密」の記憶術実演の光景が私の脳裏に鮮やかによみがえり、「ああ、こんなからくりになっていたのか」と納得したものです。
 その後、私は記憶術の本を書店で必死に探しましたが、見つからずに断念。「記憶術」は再び忘却の彼方へと深く沈んでしまったのです。

 多湖輝先生の授業から9年後のある日、とある団地の小さな書店でまったく偶然、私はそれを見つけてしまいました。分厚い背表紙。真っ赤な表紙カバー。そこに書かれた「記憶術」の3文字が私の目に突然飛び込んできたのです。次の瞬間、私は中身も値段もよく確かめず、小躍りしてその本をレジに持っていきました。
 

  渡辺剛彰著「実用に役立つ記憶術」 ひかりのくに(1975年)


 この本こそは当時、記憶術を身につけようとした人たちのバイブルになったに違いありません。その後、市販の記憶術本で、これよりもわかりやすく体系的な本は見たことがありません。
 以上3つの出会いが、私を記憶術の研究に駆り立てるきっかけとなったわけですが、私にとっては偶然とは思えず、何か運命的なものを感じます。同様に、今あなたが読んでいるこの“ネット書籍”が、記憶術を身につけるための出発点となれば、私にとって本望です。

数字語呂合わせによる基礎表「食べ物編」
 
 「絶対に忘れないもののリスト=基礎表」に覚えるべきことを順番に結びつける方法は、基礎結合法と呼ばれています(命名者は渡辺彰平・剛彰父子のどちらか)。ただし、この方法自体は古代ギリシャで生まれたもので、日本では「体の部分に結びつけて覚える秘伝」が、すでに明治時代から一部の人に知られていました。
 ここに紹介するのは多湖輝先生の授業からヒントを得て私が作ったもので、J〜Lはトランプにスライドさせています。基礎結合法は応用範囲が広いのですが、いかに沢山の基礎表を作成するかも記憶術テクニックの一つです。

 @ いちご  Eロック(ウイスキー)  J(J)ジュース
 A 肉  F七味唐辛子  K(Q)きゅうり
 B さんま  Gはちみつ  L(K)ケーキ
 C しいたけ  Hくり   
 D ご飯  I豆腐   

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7.故・渡辺剛彰氏のパフォーマンス



 私が記憶術を身につけたのは、1975年に渡辺剛彰が出版した本1冊によってです。その後、何人かの日本人の記憶術研究家の本や、欧米の翻訳本数冊に目を通しましたが、本質的な部分ではどの記憶術もまったく同じものでした。
 記憶術を理論的かつ体系的に書いてあるのは、先の「実用に役立つ記憶術」を除けば日本の出版物には見当たらず、欧米の著書の翻訳本にすぐれたものが多いようです。ただし、翻訳ものは日本人にはなじみの薄い例題も少なくなく、文体や言葉の言い回しがこなれていないという弱点があります。また言語の違いから、ゴロ合わせなどは翻訳が難しいというネックもあり、「すぐに役立つ」ということのみを求める読者にはおすすめできません。
 さらに残念なことに、唯一おすすめしたい記憶術バイブル「実用に役立つ記憶術」は、とうの昔に絶版になっています。その後に出た「渡辺」の名を冠した記憶術指導書は、市販されているか否かにかかわらず、先の本を超えるものではないと私は感じています。そして1996年、著者・渡辺剛彰氏は記憶術の普及という大きな功績を残して他界しました。

 渡辺剛彰氏はあまり本を書くことには熱心ではなかったようで、ほとんど人任せでした。その代わり、パフォーマンスは一流でした。本業の弁護士のかたわら記憶術セミナーをご自身でよく開き、また監修者として名前を貸していた通信講座の夏期講習会にも出演していました。
 渡辺氏が初めての講義の時に必ず披露したのが、記憶術の実演です。まず、出席者30人程度に短文を書いてもらって、順番にそれを覚え、目隠しをしてそれを次々と当てるというものです。その短文は、たとえば、「大福をたらふく食べたい」「タイガースは優勝するぞ」「10時に新宿駅西口改札で会おう」というたぐいのものです。
 記憶術の実演自体は地味なものですが、先生がやるとおもしろく、私が子供の頃、NHKテレビで見たのとは比較にならないくらい迫力がありました。演ずるたびに会場は異様に盛り上がったものです。
 渡辺剛彰氏を有名にしたのは、このカリスマ的な人間性にあると私は思っています。

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Copywrite: Akira Takayama